2016-08-10

船川 翔司さん〔1〕「石とランドセルと橋で清々しい」

船川翔司  
1987年鹿児島種子島生まれ、大阪在住。展示やパフォーマンスを中心に活動中。淀川河岸の故赤川仮橋を弔う『場所』や『インドで間違った相撲を広める』など。2016年には元製菓工場の山本製菓を巡る『Poetry Humming』開催。

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イソタビュー3回目は私のあまりよく知らない人にしてみようと思っていました。「あまりよく知らない人」などどれだけほどいるでしょうか…。でも、そう思ったとき船川さんを思い出して偶然にもミミヤマにふらっと遊びに来てくれました。あまりよく知らない人にイソタビュー初級編です。写真は全て船川さん提供です。

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──船川さんとお会いしたのは、ミミヤマミシンで2014年と15年にナランチャさんゴミ箱ベーシストの企画したライブに出演されていたのが最初でした。最初のライブでは笙を演奏しながらポップコーンを作るというのでしたね。1で、去年はえーっと何か回ってましたね。

船川:   外で救急車のサイレンを鳴らしながら、扇風機のモーターの先に付けた縄跳びがクルクル回って、近くに置いた金物の筒に当たって、その筒を立てようとするんだけどまた倒れる、っていうのを演ったと思います。

──どちらのライブも何組かあって、みなさん楽器使って、歌って、終わって拍手ーってなってたんです。私はどの出演者の人たちも初めてで、何も考えず見てたら他の人たちは1曲目、2曲目と数えられるんだけど、船川さんはずっとその運動を続けてて(笑
まぁ"時間"やし音楽やな…と思ってたんですけど、あれは始まりとか終わりとか決めてはったんですか?それとも時間決めてその間ずっとやる、ていうような形ですか?

船川:   1回目の笙とポップコーンの時は曲っぽいことを演ったと思います。2回目は出番が最初っていうのを聞いてから思いついたことをして、それが飽きたら止めようというのがありました。パフォーマンスする時はいつもイタズラっぽい事を考えるんですが、それに効果がありそうな事を1曲っていうまとまりの中でやるとなると、その時間内で集中力持たせなきゃいけないって考え方になるので、それよりかはいつ始まっていつ終わるかわからないようなことにしてサッとやってはける方がいいかなと思ったので…10秒だと短いけど、ある一定の集中力が切れるまでという感じで自分のタイミングを優先してやりました。

──そのタイミング、例えば飽きたとか、実際やってみたら思ったほど面白くなかったというような感覚的なものって普段から何か意識してやっていることはありますか?

船川:   パフォーマンスしてる時はできるだけ想像つかないことが起きたらいいなと思うので、その場で発明したりする瞬間があってその工夫ができたっ!て時がピークだったりするんですけどそれが過ぎると同じことの延長になるからもう止めようかな、と。

──それはこの間のライブに関わらず、パフォーマンスや美術の何かであってもそうですか?

船川:   そうですね、あまり区別してないです。最初にいろいろモノの構造をこうしたらまかり通るからこのままちゃんと作れば作品になるって考えるんですけど、途中で飽きてきて横道に逸れて違う発明ができた瞬間が嬉しいので…。

──飽きてきたら、「よっしゃーきたー、飽きてきたー」って感じかな。

船川:   (笑そうですね。

──小さい時はどんな遊びをしてたんですか?

船川:   すごく記憶してるのは小学4年か5年の頃、図工の時間に河原で石を3つ拾って来てそれを描くという授業があって、家のすぐ近くの河原に行って気に入った3つを見つけて描いてその授業は終わったんですけど、僕はまだ面白くて毎日石を拾ってきて教室の後ろの棚に置いてランキングを付けたりして…

──ランキングって?好みの石のってこと?

船川:   そうです。最初の3つにもランキングがあったんですけど、毎日拾ってきて10個20個30個ってなって。5年生の時に転校するんですけどその時に1000個以上あって。で、全部持って帰ろうとランドセルに詰めてブルブル震えながら帰ってて、大きい橋があるところで「もうダメだ」と休もうと思ったらなんかの弾みでランドセルの底が抜けて、石が全部バラバラバラーって落ちていって橋の上にある程度は残ってたんですけどめちゃめちゃ気に入ってた石は全部川の中に落ちていって「うわぁぁぁぁ‼︎」ってなったんですけど、すごく清々しくなって。全部失ったぞーって。それが気持ちよかったっていうのが、昔の遊びの記憶です。

──面白いできごとですねぇ…。それは飽きずにかなり長い期間の遊びだったんですね。

船川:   飽きなかったですね。眺めて、順位付けて3位までのは引き出しに入れておいて、たまに見てまた引き出し閉めてってやってました。今思い出しても何が面白かったんかよくわからないですけど(笑

──飽きなかったんですねぇ…(笑

その感じって今やっていることで似ているなと思うことはありますか?

船川:   組み立ててダメになるというか、違う出来事になっていく瞬間が清々しいと思ったのはその出来事が最初で、その感覚が好きだと思った延長線上で今やっていることに繋がってるとは思います。

──ちょっと話が戻りますけど、ランドセルの底が抜けた時、「うわぁぁあああ!」ってなって、その後すぐ清々しいと思えたんですか?

船川:   一瞬パニックになりましたけど、きっと"橋の上"っていうのが良かったんですよ。橋を渡り終えた時に「ま、いっか」ってなったんです。なんか、「後戻りせんとこ」みたいな感じで。

──ドラマですね。いろんな状況が完璧に作用したんですね。ランドセルも、石も、橋も、下を流れる川も。その石を拾った川なんですよね?

船川:   そうです、そうです。

──すごいいい話ですね。

船川:   すごく気に入ってますね、その思い出は。

──随分、達観してる小学5年生ですね。

船川:   ですよね。それを清々しいとか。

──石集めてる時点でかなりそんな感じですけどね。

船川:   あぁ、そうなのかな。でも割と周りの友達もそういう遊びをしてたと思います。

──その石とこの石、交換してくれよ。とか?

船川:   石集めてるのは僕だけだったけど場所探して遊ぶところ作ったりとか、してましたね。

 
1:「 笙は構造上、呼気によって内部が結露しやすくそのまま演奏し続けると、簧した/リードに水滴が付いて音高が狂い、やがて音そのものが出なくなる。そのため火鉢やコンロなどで演奏前や間に楽器を暖めることが必要である。」Wikipediaより抜粋
船川さんは笙を暖めながら、同じコンロの上にポップコーンも置いて演奏中に弾け出す、というのをやっていたのでした。

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〔2〕「藁の家が飛んでいって初の清々しい体験。からの…」 に続きます。